元テレ東・大橋未歩さん「30代で脳梗塞に…私がいなくても会社は回る」

テレビ東京アナウンサーとして活躍した大橋未歩さん。人気の裏で、人知れずキャリアに悩み、不安と焦りを抱えていたといいます。そんななか、脳梗塞で倒れたことをきっかけに、大きく人生観が変わったそう。その後退職、フリーになった大橋さんに「人生の決断のタイミング」を聞きました。

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【写真あり】元テレ東大橋未歩さん・夫婦ニューヨーク移住後の今

人生に迷った30代、突然の脳梗塞に見舞われ…

──テレビ東京入社当初からバラエティやスポーツ中継に引っ張りだこになり、一躍人気アナとなった大橋さん。VERY読者は30代が中心ですが、大橋さんにとってのそのころはどんな時代だったのでしょうか。

30代前半は、キャリア迷子でもあり、人生迷子でした。入社後早い段階で、オリンピック取材やバラエティ番組の司会など、アナウンサーを志していたときから目標としていた仕事にも挑戦できました。学生時代は「結婚して子どもを産み、30代は家庭を尊重しながら仕事をするのだろう」などと漠然と考えていましたが、いざ仕事を始めてみると、これほど人生でハマれるものがあるのかと、仕事に夢中になりました。それでも30代前半までに目標をかなえ、仕事の波が落ち着いてくると「もう会社にそれほど必要とされていないのかも」と不安を感じてしまい、どんどん焦りを募らせてしまいました。「このままではいけない。もっと頑張らないと」と焦燥感にかられ大学院に行ってみたり。次にやるべきことを求め続けていた状況だったので、病気になって強制的にストップがかかったことで、ラクになれた部分もありました。

入社以来、仕事に夢中でした。2006年、WBCの取材中に

──34歳で突然の脳梗塞により休職を余儀なくされた大橋さん。このことは当時ニュースでも大きく報道されました。

レギュラーをすべて休んで病床で過ごすことになったとき、私がいなくても会社も社会も普通に回ることにようやく気づきました。それまでは自分のことを「社内で代えの利かない存在」だなんて思っていたところがあったんです。傲慢ですよね。でも私が休んでも、ありがたいことにちゃんと誰かがその席を埋めてくれるという現実を突きつけられて、目が醒めました。それと同時に、30代の焦りの沼から脱出できた気がします。組織から必要とされるために働くのではなくて、これからは、社会にとって自分はどう貢献できるかに力点を置いて働こうと考えるようになりました。もちろん脳梗塞になりたくはなかったけれど、自分にとっては地に足をつけて生きるための必要な経験だったと思います。

スポーツから報道までさまざまなジャンルに挑戦した局アナ時代

──大橋さんがさまざまな場面で自分の病気についてお話しされることで、自分の健康に対する意識を改めた人も多いかと思います。

倒れるまでは「無理をしてなんぼ」の根性第一で生きてきました。古い考え方ですよね。生まれてから死ぬまで同じ体を使うのだから、メンテナンスが必要なのは当たり前。それなのに、忙しい日々のなかで体が資本ということを疎かにしていたと思います。あのとき倒れていなくても、きっとどこかで息切れしていたかもしれません。今は、体の声に耳を傾けてきちんと休むことを推奨していますし、局アナ時代には出来なかった脳卒中予防の啓発などにも取り組んでいます。

 

「旬を過ぎてからフリーになるの?」と聞かれたこともありました

──30代後半には、長年勤めたテレビ東京を退社されています。「どちらの道に進むべきか」という大きな選択が必要になったとき、すっぱりと決断できるタイプでしょうか?

悩み抜きますが、決めてしまった後は振り返りません。私が退社した当時、アナウンサーは「旬」と言われている若手のうちにフリーになることが一般的だと思われていました。だから私が辞めると発表した際にも「旬を過ぎているのになぜ?」という声が上がっていたようです。このまま会社にいれば、安定した生活が送れるのに、と思われていたのかもしれません。でも私にとって、「仕事をすべて失ってもいいから、新たなことに挑戦したい」という覚悟ができたのが、ちょうどこのタイミングでした。たとえ、アナウンサーの仕事がなくなっても、日本は労働力が不足していますから、きっと何らかの仕事はある。最低限食べていくことは出来るんじゃないかと。結果的にはフリーアナウンサーとしてレギュラー番組をいただき有難い限りでした。多分、欲をかかなかったのが良かったのかなと思います。何かを決断する時、欲をかくと結果としてうまくいかないことが多い気がするんです。「フリーになってお金をもうけよう」ではなく「もっとワクワクしたい」という純粋な気持ちが先行していたから、波に乗れたような気がします。

テレ東の番組放送後。迷った末、フリーになる決断をしました

 

「何かを手放すと何かが入ってくる」その言葉に背中を押されて

──そのような決断は自分一人でされたのでしょうか。

最終的に決めたのは自分ですが、いろいろな人にも相談しました。特に印象に残ったのが、先輩の佐々木明子キャスターに相談した際に返ってきた言葉。「何かを手放せば何かが入ってくる」という一言に、強く背中を押されました。実際に手放してみると、本当に色々な経験がちゃんと入ってくるので驚いています。昔から信条としていたのが「お金や人気は水物。でも経験は誰にも奪われない財産」という考え方。失敗したとしてもそれも教訓として自分の人生に蓄積されていきます。絶対に減らない財産なんです。「自分がワクワクできることを大事にしていきたい」という直感に従って、色々手放しました。それが、日本を離れ、米国で暮らす決断をしたことにもつながっている気がします。

2016年、米国と国交回復後のキューバでの番組取材

──20代前半で描いていた将来の夢は、30代を経てどんなふうに変化していきましたか?

脳梗塞になったことで、月並みですが「今を楽しむ」ことをもっと大切にしようと思うようになりました。今までの私はゴールを設定して、それに向かって逆算して努力をしていくのが当たり前で、そこまでの道のりは多少犠牲にしてもいいと思っていました。でも、10分後に人は突然倒れるかもしれない。身をもって知ったからこそ今をとことん楽しむべきだと感じられるようになりました。新しいことにチャレンジするときは不安もあるけれど、「今どうしたいのか」その気持ちに素直に従っていると、自然に次の扉が開いていくというのが実感です。それで今、思いがけずニューヨークにいるわけですが(笑)。

PROFILE

大橋未歩さん(おおはし・みほ)

1978年兵庫県生まれ。2002年にテレビ東京に入社し、アナウンサーとして、スポーツ、バラエティ、情報番組など幅広い分野で活躍。その後、2013年1月に脳梗塞を発症。休職期間を経て同年9月に復帰する。2017年のテレビ東京退社後はフリーアナウンサーに。2023年からはアメリカ・ニューヨークに住まいを移し、現在は日米を行き来しながら活動中。インスタグラムは@o_solemiho815

取材・文/樋口可奈子

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