オリンピック銅メダリスト・奥野史子さん(52)の更年期と乗り越え方とは
更年期を迎えたオリンピアンの奥野史子さんが今も生き生きと活躍できているのは、不調時の柔軟な対応や周囲との軽やかな人間関係作りにあるようです。お話を伺いました。
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奥野史子さん PROFILE
1972年4月14日、京都府生まれ。シンクロナイズドスイミング(現・アーティスティックスイミング)の日本代表として1992年のバルセロナオリンピックではソロとデュエットともに銅メダルを獲得。現役引退後はスポーツコメンテーターや国際水泳連盟の重要ポストを務めるなど多彩に活動中。Instagram(@fumiko.okuno)も好評。
50代になってから更年期症状が
50代になってから2年ほど、更年期症状が出て大変でした。いちばん辛かったのは動悸(*1)です。朝起きた瞬間に心臓がバクバクして汗がドッと吹き出します。初めは心臓疾患かと思い、内科などを受診したのですが異状なし。漢方なども飲んでみたのですが一向に良くなりません。もしかしたら更年期では? と思い至って3人の子どもの妊娠・出産で長い間お世話になっている産婦人科の先生のところに行きました。そしたら「来ましたか、ついに」ということでホルモン補充療法を行うことに。エストロゲン製剤と黄体ホルモン製剤、2種類の錠剤をセットで服用し始めたら劇的に症状が改善しました。
動悸と同時にメンタルも不安定でイライラしたり、ドーンと落ち込んだりもしました。ちょうど「ワールドアクアティクス」という世界水泳連盟組織の大役を引き受けた時期。それは私にとって大きなチャレンジだったので、イライラが仕事によるストレスなのか、更年期によるものなのか判別できず、モヤモヤしていたのですが、ホルモン剤を飲み始めてから動悸が劇的に改善したので、イライラ症状も落ち着き、気分的にはかなり楽になりました。
【*1・動悸】
更年期症状としてよく感じるのは動悸。心臓疾患と間違えやすいので50歳前後に動悸を感じたら、婦人科の更年期外来に相談するのがおすすめです。
まずは健やかな体が基本! ピラティスやストレッチ、ウォーキング
— 先ごろ行われたパリオリンピックでもワールドアクアティクス技術委員として活躍が目覚ましかった奥野史子さん。京都を拠点としながら、夫である元陸上選手の朝原宣治氏と共に3人のお子さんを育てていらっしゃるバイタリティあふれる女性です。そんな奥野さんが更年期症状を感じたのが50歳。世界的な水泳連盟の重要ポストを引き受けるという大きなチャレンジを決断したところに、仕事上のストレスと更年期不調が重なって、心身共に疲弊したと言います。
産婦人科は赤ちゃんに関する産科だけでなく「婦人科」でもあります。婦人科は女性にとって一生お付き合いするところ。子宮や卵巣の疾患や、生理など女性ホルモンが深く関係するもの全般について相談できるところであるはずです。いざという時に診てもらえるかかりつけの婦人科を持っておくのは大事ではないでしょうか。
そしてプロの味方と共に大切なのは自分自身の健康維持。私の場合の主軸はピラティスです。コロナ禍で「〇〇チャレンジ」というのが流行っていましたよね。私のところに「縄跳びチャレンジ」がまわってきたんですが自分がイメージしていたようにはできませんでした。二重跳びもできなくなっていたし、何よりショックだったのは跳んだ瞬間、少し尿漏れのような感覚があったこと。当時49歳、まだ40代だったのに、です。骨盤底筋も緩んでいる! これはやばいかも、と危機感をもって、なんとなく習慣で続けていたピラティスに本格的に取り組んで資格も取ることにしました。
コロナ禍の間に「PHI ピラティス」の資格を取得し、今も京都・中京区にある「Studio 703」の多田先生のレッスンを週1回受けています。自宅用にリフォーマーというマシンも買ったのですが、やはり先生のもとで正しい姿勢、筋肉の動かし方を意識しながら行うことが大事です。正しい指導を受けてピラティスに取り組むようになってからは体幹がブレなくなりました。クシャミしても尿漏れしなくなりましたし、ひどかった腰痛も悪化しないで済んでいます。
あとはできるだけ歩くようにしたり、テニスボールを2個持ち歩いて、時間があったら筋膜ローラーがわりに筋肉の上をコロコロしてほぐして血流を良くしたり、こまめに体に刺激を与えています。
また、私のパワーチャージスポットとして、田んぼの存在も欠かせません。今年11年目を迎える稲作は、もともと子どもの食育が目的。泥だらけになって田植えをしたり、雑草取りをしたりしながら、町なかでの生活では味わえないような自然と触れ合う体験、例えば昆虫採集や川遊び、蛍を見たりしたこともありました。気づけば子どもたちは成長して、学校や部活などで忙しくて田植えにも稲刈りにも来られなくなり(笑)、今はママたちだけがせっせと美山町の田んぼに通っています。実はそのママたちも含め、私のママ友には医療関係のお仕事をしている人がすごく多くて。不調があったらママ友に聞いてどの科を受診したらいいか、アドバイスをもらっています。
全部一人で背負い込むのではなく、周囲と分かち合って
— 奥野さんは1995年、22歳の時にアーティスティックスイミングの現役を引退されました。2002年に結婚した朝原宣治氏(北京オリンピック男子4×100メートルリレーの銀メダリスト)は同志社大学時代の同級生で、結婚歴20年以上になります。
選手時代は学生でしたし、競技のことしか知らない世間知らずな〝シンクロ箱入り娘〟で、かつ「自分に厳しく、人にも厳しく」というタイプ。おそらく後輩からはかなり怖がられていたんじゃないかなと思います(笑)。22歳で現役を引退し、スポーツコメンテーターなどのお仕事をいただき、社会に出てからは自分と周囲の温度差というか、物事に取り組むうえでの意欲の落差にかなり驚きました。最初こそ戸惑っていましたが、次第に自分が知っているのはシンクロのことだけで、世の中のニュースを知らないこと、社会経験が足りていないことにも気づきました。
それからは、ありとあらゆるスポーツ、政治経済、社会的な問題、時事問題を勉強しました。結婚したのは2002年、おかげさまで長女は21歳、長男18歳、次女は13歳になります。家族一緒に京都に住みながら、子どもを3人育ててこられたのは近くに住む両親やママ友、そして主人の協力があったからです。主人は、もともとはそんなにイマドキな男性ではないと思うのですが、仕事先などで最近のジェンダー問題、家庭問題を学んでくるんでしょうね(笑)。朝ごはんは自分で作って食べるようにしてくれたり、掃除や洗濯も積極的にしてくれたり、かなり家庭運営に貢献してくれています。周囲からのあたたかい協力によって積み上げた実力だけが頼りでしたが、社会に出てからは周囲に頼ることを覚えて、大変なこと、困ったこともみんなでシェアすれば体も心も軽やかでいられることを学びました。
私、40歳になる時は全然何も思わなかったのに、50代をむかえる時はすごく不安だったんです。ちょうど世の中がまだコロナ禍だったこともあって、これからどうなるんだろうか、と思うとすごく怖くて。でもたまたまお仕事で大きな決断をしたこともあって、これに挑戦するのは運命だと思ったら、構えて強張っていたものがフッと取れて、足が前に出たような気がしました。今でも壁に当たると悩みますし、自分の決断によっていろいろな方面に影響を及ぼしすぎたらどうしよう? と怖くもなりますが、やれることを一つずつやっていくしかない、と覚悟が決まりました。
全部を自分一人で背負い込むのではなく、周囲といろんなことを分かち合ってシェアすることを心がける。得意なことは得意な人がやればいいし、分からないことは知っていそうな人に聞く。そんなフラットな気持ちでいたら人生後半も乗り切れるような気がします。
撮影/久保嘉範 ヘア・メーク/塚越めぐみ(M’s) スタイリスト/井谷祐子 取材/柏崎恵理 撮影協力/CYCLE SEEDS (美山)、studio 703 衣装協力/KARASHI closet ※情報は2025年1月号掲載時のものです。
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